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三浦雄一郎 エベレスト 2013 ニュース

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冒険家三浦雄一郎さん(80

23日午後0時15分(現地時間午前9時)ごろ、
世界最高峰エベレスト(8848メートル)の登頂に成功!

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史上最高齢記録となった。5年ぶり3度目の快挙。

凄い!としか言いようがないです。

本当に、おめでとうございます!![ぴかぴか(新しい)]


三浦雄一郎さんは、幼少期は病弱で劣等生だったそうです。
幼稚園を中退。
小学4〜5年の時には結核で1年程、学校には通えなかった程。

父の仕事の影響で、小学校は5回転校。
健康問題が理由で、中学校の入試に失敗し、小学生を浪人。
中学に入学後も、4回の転校。

スキーを手にしたのは、小学2年の時。
それからスキーを本格的に始め、中学生になってからは、スキー大会で優勝。

高校の時には、全日本スキー大会で入賞。
高校で行われたスキー大会では、3年連続優勝。

大学は、スキーができるからという理由で、北海道を受験。
在学中に当時の学長秘書、かつアルペンスキーの女子選手だった
妻・朋子と結婚。

大学院進学、アメリカ留学を希望していたが、肺の病気もあり
暫くは、大学の助手として勤務。
26歳で助手を辞任し、スキーに挑戦。

優勝した全日本スキー選手権青森県予選閉会式で、
全日本選手権への青森県からの派遣人数をめぐりスキー連盟関係者と対立、
結局アマチュア資格を剥奪され、アマチュアスキー界永久追放となる。

アマチュア資格を剥奪後、暫く北アルプスでポッカとして働く。

1960年代からはスキー学校も開設。
1962年には、アメリカで開催されたばかりの、世界プロスキー選手権に参加
その中で、世界ランク8位となり、プロスキーヤーとして活躍。

1964年 イタリアで開催された、キロメーターランセに日本人で初めて参加
時速172.084キロの当時世界新記録を樹立
(なお、この前後に3度転倒し、
「世界で最も速い速度で転倒して無傷で生還する」という珍記録も樹立。

このことから、防衛庁(現・防衛省)航空研究所の風洞実験室を使用し
空気抵抗の少ないスキーウェア開発も試みている

1966年には富士山の直滑降を成功させる。
この時にブレーキとして使用したパラシュートが、
パラグライダーが作られるきっかけとなったというから、凄い!

それからもエベレストでの滑降など記録をつくって行くが
目標がなくなり、不摂生な生活を送ったことにより

体重が激増。不健康にまっしぐらだった。

父の99歳にしてのモンブラン氷河の滑降
オリンピックに出場する、次男を見て改心。

65歳の時に、70歳でエベレスト登頂の目標を立て
それから毎日、外出時には重りを足につけ、

20Kg程のリュックを常に背負うというトレーニングを再開

2003年5月22日、世界最高峰のエベレストに世界最高齢(ギネスブックに掲載)
となる70歳7か月での登頂を果たす。

同時に二男・豪太との日本人初の親子同時登頂も遂げた。

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とても個性のある生き方されていらっしゃいますね!
ここまでやりぬく人は、やはり何か違うと思いませんか??

こんな個性ある生き方をしうてみたいですね!



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